10. 褒めると叱るについて 【コラム:異文化の海を泳ぐ】

今回は「褒める」と「叱る」について考えてみたいと思います。皆さんご承知のように、日本の文化は伝統的に叱って育てる文化であり褒められるケースはそう多くはありません。職場でも同様で、部下を指導するには至らない点、改善すべき点を指摘する事が主になります。

私自身、長い職場経験でも叱られた事は数多くありますが、褒められた事はめったにありませんでした。ところがここアメリカで仕事をするようになり(日本人ではない)部下を指導する時に大きな違いがあることに気づかれた方は私だけではないと思います。ここでは改善すべき点を指摘するのはもちろん重要ですが、良い点を見つけてそれを伝える、つまり褒める、あるいは感謝する事が大変重要な事なのです。しかし多くの日本人はこれまで褒められた事があまりないため、急に褒めなければと思い立っても、では一体どんな事を褒めたらよいのだろうと悩む事になります。これは実際多くの皆様から頂いた感想です。

何故なのでしょうか? 私の意見では我々は褒める内容にかなり高いハードルを設定しているのではと思います。曰く、当たり前の事を当たり前にできた事、与えられた仕事をその通りに行った事は特に褒めるには値しないと考えがちです。でもちょっと考えてみてください。当たり前の事を当たり前にできたという事は素晴らしい事なのです。できない事だって多々あるのですから。この様な事例は立派な褒める対象例になると思います。この違いはどこから来るのでしょうか? それはアメリカの文化が褒めて育てる文化だからでしょう。親や学校の先生は子供の良い所を見つけて伝え、それらを伸ばして行くように仕向けていく、つまり褒めるのです。洋の東西を問わず、人間褒められれば良い気分になり、ではもっと頑張ろうという気になります。これが褒めて育てるという事です。

なぜ日本は褒めない文化になったのでしょう。私は謙遜の文化と関連しているのではないかと思っています。日本では褒められると(本人はそれを自覚しているにもかかわらず)いえ、そんな事はありません、当たり前の事ですといった返答をしますよね。自分の家族を言い表すのに「愚妻豚児」と言ったり、人に贈り物を送るとき「つまらないものですが」と表現する事は謙遜の代表例でしょう。本人は全く言葉通りには思っていないのですが。これらが相まって日本では人を褒めること、特に身内を褒めることはこの謙遜文化に反する為あまりされなくなったのではないでしょうか? それでは人を(子供を)育てるにはどうしているかというと、基準に達しない点や外れた点を指摘して直させる事に重点が置かれます。これが所謂「叱って育てる文化」ということです。

日本人社会の中だけでは皆がこの文化に馴染んでいますし、叱られてばかりでも会社組織の中で生きてこられましたが、ここ米国ではこれは通用しません。褒められる、感謝される言葉が聞けないと上司から認められていないのではないか、解雇されるのではと不安に思う気持ちが生じます。実際日系企業に勤めるアメリカ人従業員から日本人マネージャーから褒められる事がほとんどなくて不安だとの意見が聞かれます。又、皆様の多くが会社で褒められた事がないと聞くとよく解雇されなかったな、と彼らは思うかもしれません。如何でしょうか? ご感想をお聞かせ下さい。

それでは又次回お目にかかりましょう。

* この記事はデトロイト日本商工会の会報「Views」に2021年3月に掲載されたものです。

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